Letzte Aktualisierung: 23. Juli 2018
 
 


研究室案内



(1)独文研究室について

 独文研究室は、文学部3号館4階、東に三四郎池を見おろし、西に総合図書館前広場を見渡す位置にあり、四季の移ろいと一日の時の流れを鮮やかに感じることができます。ここでの学生生活は、ときには木洩れ日を浴びながらゆったりと、ときには激しく自己の内部の時間と対峙しながら営まれることになるでしょう。



三四郎池

文学部3号館

 一番大きな中央の助教室にはコーヒー・紅茶・緑茶等も用意されていて、いつも学生や教員が出入りする研究室全体の談話室ともなっています。

中央の部屋

そのほかに、ゼミ室、辞書室(兼自習室)、学生室、教員室があります。助教室と辞書室には共用パソコンが、ゼミ室にはビデオ・オーディオ装置がおかれ、リートやオペラ、演劇、映画等の鑑賞会場にも、また、コンパ会場にも化けます

辞書室


ゼミ室

(2)ドイツ語とドイツ文学について

 ドイツ語のあり方をわたしたちの日本語と比べるとき、言語構造以前に目につくのは、英語などとはまた違った意味で国境を越えた言語だということでしょう。国があって国語がある、あるいは、ひとつの言語を使う集団がまとまってひとつの国家を作ってきた、というのではなくて、この言語は中央ヨーロッパの広い地域で使われてき、現在はそれが、おもにドイツ、オーストリア、スイス(の大きな部分)に集中している、ということなのです。日常的に使用しているという意味のドイツ語人口は、現在、およそ1億人をかぞえますが、とくに東欧でドイツ語を理解する人は少なくなく、歴史的なドイツ語文化圏・文学圏となると、さらに大きく広がります。また、汎ヨーロッパ的な移動・移住の歴史も手伝って、ドイツ文学史に登場する詩人・作家・批評家には、ユダヤ系はもちろん、フランス系、イタリア系、スラブ系の名も多く見出されるのです。

 ドイツ語・ドイツ文学の歴史は、ゲルマン大移動後、カール大帝の帝国がまもなく成立する時期にあたる、8世紀半ばの古期ドイツ語の成立をもって始まるとされています。日本では奈良時代のことです。そして1213世紀、日本でも武家文化が始まったころ、ドイツ文学は騎士文化の一翼を担って最初の隆盛期を迎えます。それから1617世紀にはルターの聖書翻訳を大きな契機とする新高ドイツ語(近現代ドイツ語)の成立を見、それを言語上の基礎として1800年前後(ゲーテやロマン派の時代)に近代前期の、また、モデルネ期(19世紀末からの約40年)に近代後期の、多様な文学が咲き誇る時代を迎えます。それに続く狂乱の10数年は文学状況にも暗い影を投げかけ、多くの文学者が国外に逃れることにもなりましたが、20世紀後半、分裂国家の状況を背景に東西それぞれに新しい文学が生まれ、さらに20世紀末の再統一を経て、ベルリンに象徴されるように、東西対立とその解消した時代の問題をいわば最前線で経験しているドイツの文学は、現代の状況を集中的に体現しているもののひとつとも言えるでしょう。

 ドイツ語といえば、「カタイ」とか、格変化が面倒だとか、の声をよく耳にしますが、ひとつの言語が広がっている空間は、そうした表面的な印象でまとめてしまえるほど狭いものではありません。グリム童話もエンデの作品もドイツ語で書かれています。ドイツ歌曲の詩も、『ファウスト』も、ホーフマンスタールの流麗な文章も、ドイツ語が紡ぎ出したものです。どの言語も、その言語独自の構造を、メロディーとリズムを、美しさと緻密さを、柔らかさと硬度をもっています。ドイツ語も例外ではありません。そしてドイツ語にも、ドイツ語特有の思考形式と、言語としての全体性が宿っているのです。日本語と比べた場合、概念性が際だつ一方、その概念性もとても具象的なイメージとつながっており、それが概念性を、つかみやすい、生き生きとしたものにしていることは、もうこれまで学ぶ中で気づいている諸君も多いことでしょう。母語以外に今ひとつ、異質な言語を獲得することは、とても知的刺激に満ち、かつ、自己を相対化しながら広げてゆくのにきわめて有効なことでしょう。


(3)専任教員の紹介

現在の専任教員を簡単に紹介すればつぎのとおりです。 


大宮教授:近現代文学担当。19世紀末から20世紀の文芸と思想の関わりを、ベンヤミン、エルンスト・ユンガー、ハイデガー、アーレントなどを結節点にして考えている。

宮田教授:近現代文学担当。ノヴァーリスをひとつの中心として、現代の文芸理論も参照しつつ、<ロマン主義>がはらむさまざまな問題と可能性を、その前史と後史のなかに探ろうとしている。

KEPPLER-TASAKI准教授:近現代文学担当。ゲーテを研究の中心としながら、近世から現代に至るドイツ近現代文学を、祈り・中世・映画という諸領域との関わりで捉えようとする研究を精力的に進めている。

山本准教授:中世文学担当。


そのほか、毎年数名の非常勤講師の担当する授業があります。



(4)卒業論文および卒業後の進路について

 ドイツ語ドイツ文学専修課程を卒業するには、卒業論文を書かねばなりません。日本語の本文にドイツ語の要約を付します(逆でもかまいません)。ときに卒論を嫌がる学生もいるようですが、独文の学生のなかには、そういう人はほとんど見かけません。卒業後、たとえドイツ語が直接には役立たないところに職を得るとしても、ある程度息の長さを必要とする卒論という形で読みと考えをまとめることは、人生において大きな節目を刻むことになります。参考のために、最近の卒論タイトルを少し下に掲げておきました。

 卒業後の進路は他研究室と同じく、大きく分けて、すぐに就職する人たちと大学院へ進む人たちに分かれます。就職先は出版・ジャーナリズム関係、コンピューター関係、銀行や商社、公務員ないし教員等、さまざまです。


「20世紀ドイツ自然詩史におけるヴォルフガング・ベヒラー」

「Werner Herzogの作品における動物のイメージの変遷の分析」

「強者の極致としての「超人」」

「トーマス・マン『ヨゼフとその兄弟たち』―人間の神話化、あるいは物語化」

「グリム童話における累積譚の特徴」

「存在の言語と図像的な表現―ホフマンスタールの詩学とセザンヌの絵画」

「W.G.ゼーバルトの『アウステルリッツ』における写真の詩学」

「『ファウストゥス博士』におけるトーマス・マンの政治と文学」

「アンナ・ゼーガース『死者はいつまでも若い』における、ナチズムとコミュニズム、反ナチズムの相克―ベルリン周辺の一農村を中心に―」



(5)その他
 もっと詳しく知りたい人は、本郷のドイツ文学研究室を気軽に訪ねてください。学部生や院生、教務補佐の人たち、あるいは教員がよろこんで相談に乗ってくれるはずです。


(6)「学生から」


「……この写生図を見てとても嬉しく思った。こんなに多種多様な美しいものを沢山集めている人は、決して平凡で空虚なつまらないものを作ることはあるまい。もしこのようなものを受入れる精神を持っていれば必ず正しく応用して、高貴で純粋なものしか作らないだろう。……」

シュティフター『晩夏』(ちくま文庫、2004)

 

僕は進学ガイダンスのための原稿を依頼され、談話室で頭を抱えていた。ふだん居心地良く過ごしている独文研究室の日常を、くだけ過ぎずに文学的な矜持を保って紹介するためにはどうすればいいか見当がつかなかったのだ。そこでコーヒーを淹れていた教務補佐の(ハー)さんは、『魔の山』に研究室を例えてみてはどうかと提案をしてくださり、僕は粗筋を思い起こそうと試みた。この教養小説の主人公が経験する雰囲気と生活は、独文科のそれに比することができるだろうか?
 『魔の山』の主人公ハンス・カストルプは、造船技師として就職する直前に、高原のサナトリウムに束の間だけのつもりで滞在する。そこでは無為徒食の安逸な生活が営まれている。社会人としての義務から当分解放されて心に余裕ができた彼は、療養のために豪華な食事を食べ、たっぷり昼寝をしつつ、雑多な本を読み漁り、愉快な先輩の病人たちからも多くの思想を吸収していく。不治の病が支配する、死の世界、一度入ったら二度と出られない『魔の山』で、彼は「教養」を積むのである。下界の日常生活から隔離された高山での、いつ終わるとも知れない療養生活、「永遠の水平状態」の中で、ハンス・カストルプは浮世離れし、時間の感覚を失い、気づけば何年も経ってしまっている。
 「そんな空恐ろしい例えをするなんて!」隣で授業の予習をしていた同級生の
(イー)さんが叫んだ。たしかにこの比喩には問題がある。独文科が「一度入ったら二度と出られない」「不治の病が支配する世界」だなんて! 研究室の学生たちがいかに学問に熱中して現実感覚を失っているとしても、決して病人や社会不適合者ではありえないし、面倒見の良い教授たちもその病気を助長して一生退院できなくさせる悪い医者などでは決してないはずだ。それに皆が僕のように、「永遠の水平状態」を、すなわち就活もせずに大学院に入院し、談話室にいつもある高いお菓子を遠慮なく食い散らかし、研究題目と関係のない本ばかり寝転がって読み、それを「教養」と称して両親を煙に巻くような、のらくら者の学生生活を送っていると決めつけるのは、真面目な学友たちに非常に失礼であろう。
 かれこれ一時間もIさんが分厚い辞書で単語調べをしている光景からも分かるように、独文科の多くの学生たちは、無為徒食どころか、きわめて勤勉である。読書が単なる暇つぶしではなく、地道な研鑽に値する精神の修養であることを心得ている。しかし彼らの禁欲的な努力は心を揺さぶられた読書体験に根ざしているのであり、またその努力こそが再び感動へと通じる道であることも彼らは知っている。素朴な感動と深まる知識とを調和させようと日夜心がけている若い学生たちは、死の世界だなんてとんでもない、真に生き生きとした精神の世界の住人なのだ。
 つまり、文学好きの陥りがちな衒学とは縁遠い、真摯で物静かな、上品なユーモアを持った人々が共に学ぶのが、この独文科である。原稿を無事書き終えた僕は、Hさんの淹れてくれたコーヒーを飲みながら、明日の新歓コンパで多くの人と語らうのを楽しみにしている。思えば初めての新歓から、楽しい仲間と過ごしているうちに、あっという間に丸二年が経ってしまった。僕が時間感覚を失っているとしたら、やはりここは『魔の山』なのだろうか? そんな空恐ろしいことは、考えないでおこう。

(小林重文 2013年度進学)



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